急ぐ必要はない。でも、季節も人も、そして私も変わっていくのを感じる。やはり春という季節がそう感じさせるのかしら。
永遠に変わらないものが美しいと思い、あこがれていた。誓い合った変わらぬ愛、いつまでも若々しい美貌、初心を貫く変わらぬ決意。こんな考えは、生まれながら持っているものなのか、わかりやすいからか、いつの間にか価値として持っていた。
そんな事言って無理に変わらぬものを持ち続けようとすると、苦しくなって行き詰る。日本文学は昔から諸行無常を説いているのにねー。中学校や高校の国語の時間に出会っているはずなのに、私の価値観を矯正してくれなかったのは、なぜだろう。授業をろくに聞いていなかったからかな。でも本当の所は、分かっていても潜在意識下で拒絶していたんだろう。だって、とても生き難くなると思えたから。本当はまったく逆なんだけどね。
動いているものを理解し、つかむのは難しいと思った。そんな考えの根本には、自分は変わらないという前提がある。でも、その前提はまったくの大はずれで、自分こそが常に変化していることを自覚する事からスタートしないと、病気になってしまう。人生はコーラスのようなもの、誰かと踊るダンスのようなもの、サーフィンのようなもの。回りにあわせて自分も歌い、相手にあわせて自分も動く。波を選んでタイミングよく乗る。失敗しても、仁王立ちになって波をまともに受けるよりずっと被害は少ない。
こんなこと、わかっていても時々しがみついていたくなる。居心地のいい場所にずっと居たくなる。散りゆく桜の花びらを見ていたら、やっぱり感傷的になってしまった。はかない命、美しさだからこそ、いとおしい。友人のご家族が他界されたという知らせと花びらが、私の中で重なった。
永遠に変わらないもの・・・それは、過去の事実。すべてが変化する中で、過去だけが変わらない事実として存在し続ける。でも、だからこそ、過去にしがみついていては、波に乗らないサーファーになってしまう。勇気を振り絞ってすくっとボードに立ち上がる。そしてバランスで波をのりきる。後ろを振り返ってもいいけど、そんな暇ないよね。
さーて、次の波はいつ来るかしら。どんな波に乗ろうかしらん。