Yellowstone 7 山


さて、ここで Yellowstone を離れて、お隣の Grand Teton 国立公園へと移っていくのだが、私にとっては同じ旅行なので、ここに記す。

Teton 森林公園は広大だが、Grand Teton 国立公園はあまり広くないと思う。そして、この公園の唯一、他と比べ物にならない呼び物は、何といってもこの絶景につきる。

20110728-IMG_0464.jpgいつ、どこから見ても息を呑む。それでも一番は早朝の朝日に輝く山並みかな。それとも、早朝1時間ほどの、刻々と変化する空の景色が繰り広げる雄大なドラマそのものかもしれない。Grand Teton という山自体はそれほど高くはない。13,775 ft (4,199m) で、富士山より高いが、この前行った、White Mountain より低い。でも、アプローチなしにいきなりそそり立つ姿は、山の存在を感じさせる。

何枚も撮った写真はどれも美しい。選択には苦しむところだ。一般に見られる湖を前にしたTetonもいいが、私はこの一枚を選ぶ。

早朝、まだ寝ている若者を見捨ててホテルを出た。どこという当てはなかったが、ムースに出会いたかった。生憎出会いはなかったが、早朝のドラマだけで私は満足だった。大好きなアスペンの葉が、風になびいて輝く様は何と形容したらいいのだろう。そんなアスペンの木々を抜けて見えてきたのがこの景色だった。

そして、まだ暗くて、どこだかわからない道を走っていたら、突然コヨーテとバッジャーという、あまり見かけない動物に遭遇した。ラッキー!

20110727-IMG_0417.jpgISOを最高に上げても暗かったので、画像が悪いが珍しいバッジャーは見逃せない。コヨーテもどうしたらいいかわからないまま、観察していたのかもしれない。

早起きができない若者よ。昔からの言い伝えはやっぱり正しかったぞ~。
こんなにすごいボーナスを君は見逃した。
ベンジャミン フランクリン だって言っている。The early morning has gold in its mouth.

Yellowstone 3 熊


 

20110723-IMG_0238

Yellowstoneの夏のカラーパレットはこんな感じでカラフル。

20110723-IMG_0244

これはYellowstone の所在地、ワイオミング州の州の花、Indian Paintbrush。いたる所で咲いている。 アラスカ州の花でもあるらしい。

20110723-IMG_0249

そして、こんな感じの丘が広がる。

20110722-IMG_0173

これは早朝に熊を探しに出た時の風景。 すがすがしい風景の中に・・・ 小さくてわからないかな。小熊が散歩している。 熊と花は一対の風景なんだ。

20110722-IMG_0109

グリスリーベアもよくお花畑の中でお昼寝してますぞ。 遠くからだけど、BMW のBear もゲット!

 

さあ、あともう一つ。Moose が見られたら完了。

Bristlecone6… 森へ



 さらにオフロードを走り、さらに不思議な木たちに出会う。

よく漫画に出てくる木のお化けのようだ。


 4マイルのメズーセラグローブを歩いてみた。

まだ赤ちゃんのようなBristlecone だがすでに数百年は生きていそうだ。


それにしてもメズーセラというより、
メデューサと言ったほうがいいほど不気味さをかもし出していた。

Bristlecone4… 時を超える


これが雌

これが雄

松の実になるには2年かかり、1年間に0.01インチしか成長しない。1mm以下かな。

 標高 10,000 – 11,000 feet という高山のアルカリ性地質、ライムストーンがゴロゴロする所に生息する。

要するに寒いし地質も悪いしで、他の植物が生息できないような場所に生えている。だから、5000年も他の植物に邪魔されずに生きてこられたのね。


抽象的なフォーム。

真っ青な空にスクッとそそり立つ姿。ダリの世界を思い起こさせる。

こんな高山に自然が作り出したアートの世界があった。しかも、長い時を超えてできあがったものだ。

シエラ山脈が遠くに見える。

おもいやり


誰かが悩んでいる時、何ができるんだろう。
苦悩の底にいる時、どうやったら手をさしのべてあげられるのだろう。

20100620-IMG_0256.jpgきっと何もしてあげられない。

だから、そっと横にいて、時の経過を待とう。
共に涙して、共に一歩を踏み出そう。

闇の中で震えている友。手をつないで歩くことはできる。
夜明けを迎えた時、きっと笑顔がよみがえる。

Titmouse という鳥


非常に小さくてとぼけた顔をしている。とりわけ、この写真はおもしろいでしょ。
Titmouse は10 cm – 20 cm ぐらいの大きさで、虫とか種を食べるらしい。
頭の上の跳ね上がっている羽がかわいらしく、特長付けている。収拾のつかない私の髪の毛みたい。
だからか~。身内みたいなこの親近感。

2011 年の4月の雨


Mr. Sherlock を会社へと走らせながら、幌に落ちる雨音を聞く。去年の今頃も、4月に雨?と思いながら雨音を聞いていたかも知れないと思いつつ、でも、それ以上に今朝の出来事に思いをはせていた。

突然の一通のメールは、30年以上も昔の記憶をよみがえらせてくれていた。
今更だけど、時空を超えて人々と瞬時に繋がるバーチャルの世界の便利さに感謝。
いやはや、すっかり忘れていた遠い遠い過去が、じわり、じわりと蘇ってきましたぞ。

岩手県の田野畑で過ごした合宿の日々。昔の自分をなぞってみると、透明人間のような、自我の確立ができてなかった少女を発見。うっふぁー、雲の上をフワフワ浮いているようだと誰かに言われたとおり。もう少し、その時に発見したこと、体験したことを大切に、じっくりと踏み込んで理解できていたらよかった。人々の優しさ、たくましさ、そして弱さも、もっと理解できていたらよかった。私は幼すぎた。

ま、今でも大して変わらないか。でも、そんな自分に気づいているだけましかな。人の心が理解できるようになるには、やっぱりそれに伴う経験がないとだめ。苦労しなくてもいいなら、わざわざ苦労を買って出なくてもいいと、言った人がいた。でも、少なくとも私の場合は想像力乏しいから、ハンズオン学習が必要かな。苦労し、その中からもがいて自分の進む道を発見していく過程が生きることだと思う。そうじゃないとつまんないし。それを苦労と呼ばず、チャレンジと呼び、いつも好奇心は旺盛でいたい。そして、その好奇心のワクワクから意図的なチャレンジができた時、私の成長があったと思うんだ。

一日の終わりのご褒美に、SF湾の奥深くに見える夕日。-135.jpgこの夕日を見るといつも、ジワッときて、ありがとうって、感謝する。美しいだけじゃない、雄大な自然の暖かさがあるからなのね。あ、これは歳をとったというより、経験値ね。
4月の雨はもう上がっていた。だから、幌をおろして帰ってきたよ。
冷たい風にツンとさせられて、鼻水がチョロリと出てきた。ついでだから、ちょっとメランコリックに格好付けて・・・かつての友は、どこで、どんな思いを込めて、何にチャレンジしているんだろう・・・なんて。そうそう、今だからこそ、若かった私も含めて、みんな懐かしくて、いとしいよ。
そんな彼らに、熱い声援のエールだ~!

幸せの時



いつもそこにある。
でも見えない。
一生懸命見ようとしても、
見えないときがある。
突然、予告もなく見えるときもある。

さしのべた手の先にあるものは何だろう。

花にむかい、花を受け入れた時、
やさしくなれたよ。
暖かい日差しを手のひらに感じた。

幸せが見えた。
幸せに包まれていた。

ゾウの姿


レモンをレモンと言えるのか。
レモンを酸っぱいと言えるのか。
360度すべてのアングルから見えるものを総合することは、いったい可能なのか。
いったいどこまで見えたら私の意見が言えるようになるのか。
すべてを見極めることなんて可能なのか。
何かにフォーカスしなければ、たった一つのことでさえ表現し得ない。
すべての事象には多面性がある事を自覚することぐらいしか、私にはできない。
だから、私の発言はいつも偏ったものであることを伝えておかなければいけない。
そうでないと、多くの人を傷つける。
真実と現実は確実に違う。
いったい真実は存在するのか。
IMG_0012.jpg現実は、個人の思考の中にのみ存在する。だから、無数の現実が存在しえる。
そして真実はすべての生命体を包括して鼓動するうねり以外にいったい何があるのかと、偏った私の思考が問いかける。
喜怒哀楽がどれほどはかなく、一瞬の夢であることか、多くの人が説いてきた。
永遠は永遠に続かないという事実のみが永遠だ。
確実なことは何もなく、それを受け入れるしかないことが確実だ。
いつまでも大切なものを保ち続けたいということは、死を意味する。
生きていきたいのなら、変化を受け入れ、変化に乗っていかなければ押し倒されるだけだ。
だから・・・いつまでたっても、私にはゾウの姿は見えない。

変わらないものは


急ぐ必要はない。でも、季節も人も、そして私も変わっていくのを感じる。やはり春という季節がそう感じさせるのかしら。

永遠に変わらないものが美しいと思い、あこがれていた。誓い合った変わらぬ愛、いつまでも若々しい美貌、初心を貫く変わらぬ決意。こんな考えは、生まれながら持っているものなのか、わかりやすいからか、いつの間にか価値として持っていた。

そんな事言って無理に変わらぬものを持ち続けようとすると、苦しくなって行き詰る。日本文学は昔から諸行無常を説いているのにねー。中学校や高校の国語の時間に出会っているはずなのに、私の価値観を矯正してくれなかったのは、なぜだろう。授業をろくに聞いていなかったからかな。でも本当の所は、分かっていても潜在意識下で拒絶していたんだろう。だって、とても生き難くなると思えたから。本当はまったく逆なんだけどね。

動いているものを理解し、つかむのは難しいと思った。IMG_0084.jpgそんな考えの根本には、自分は変わらないという前提がある。でも、その前提はまったくの大はずれで、自分こそが常に変化していることを自覚する事からスタートしないと、病気になってしまう。人生はコーラスのようなもの、誰かと踊るダンスのようなもの、サーフィンのようなもの。回りにあわせて自分も歌い、相手にあわせて自分も動く。波を選んでタイミングよく乗る。失敗しても、仁王立ちになって波をまともに受けるよりずっと被害は少ない。

こんなこと、わかっていても時々しがみついていたくなる。居心地のいい場所にずっと居たくなる。散りゆく桜の花びらを見ていたら、やっぱり感傷的になってしまった。はかない命、美しさだからこそ、いとおしい。友人のご家族が他界されたという知らせと花びらが、私の中で重なった。

永遠に変わらないもの・・・それは、過去の事実。すべてが変化する中で、過去だけが変わらない事実として存在し続ける。でも、だからこそ、過去にしがみついていては、波に乗らないサーファーになってしまう。勇気を振り絞ってすくっとボードに立ち上がる。そしてバランスで波をのりきる。後ろを振り返ってもいいけど、そんな暇ないよね。

さーて、次の波はいつ来るかしら。どんな波に乗ろうかしらん。