さて、ここで Yellowstone を離れて、お隣の Grand Teton 国立公園へと移っていくのだが、私にとっては同じ旅行なので、ここに記す。
Teton 森林公園は広大だが、Grand Teton 国立公園はあまり広くないと思う。そして、この公園の唯一、他と比べ物にならない呼び物は、何といってもこの絶景につきる。
いつ、どこから見ても息を呑む。それでも一番は早朝の朝日に輝く山並みかな。それとも、早朝1時間ほどの、刻々と変化する空の景色が繰り広げる雄大なドラマそのものかもしれない。Grand Teton という山自体はそれほど高くはない。13,775 ft (4,199m) で、富士山より高いが、この前行った、White Mountain より低い。でも、アプローチなしにいきなりそそり立つ姿は、山の存在を感じさせる。
何枚も撮った写真はどれも美しい。選択には苦しむところだ。一般に見られる湖を前にしたTetonもいいが、私はこの一枚を選ぶ。
早朝、まだ寝ている若者を見捨ててホテルを出た。どこという当てはなかったが、ムースに出会いたかった。生憎出会いはなかったが、早朝のドラマだけで私は満足だった。大好きなアスペンの葉が、風になびいて輝く様は何と形容したらいいのだろう。そんなアスペンの木々を抜けて見えてきたのがこの景色だった。
そして、まだ暗くて、どこだかわからない道を走っていたら、突然コヨーテとバッジャーという、あまり見かけない動物に遭遇した。ラッキー!
ISOを最高に上げても暗かったので、画像が悪いが珍しいバッジャーは見逃せない。コヨーテもどうしたらいいかわからないまま、観察していたのかもしれない。
早起きができない若者よ。昔からの言い伝えはやっぱり正しかったぞ~。
こんなにすごいボーナスを君は見逃した。
ベンジャミン フランクリン だって言っている。The early morning has gold in its mouth.































きっと何もしてあげられない。
この夕日を見るといつも、ジワッときて、ありがとうって、感謝する。美しいだけじゃない、雄大な自然の暖かさがあるからなのね。あ、これは歳をとったというより、経験値ね。
現実は、個人の思考の中にのみ存在する。だから、無数の現実が存在しえる。
そんな考えの根本には、自分は変わらないという前提がある。でも、その前提はまったくの大はずれで、自分こそが常に変化していることを自覚する事からスタートしないと、病気になってしまう。人生はコーラスのようなもの、誰かと踊るダンスのようなもの、サーフィンのようなもの。回りにあわせて自分も歌い、相手にあわせて自分も動く。波を選んでタイミングよく乗る。失敗しても、仁王立ちになって波をまともに受けるよりずっと被害は少ない。