Porcupine Dilemma


最近、何歳になってもヤマアラシのジレンマをうまく乗り越えていかないといかないんだなと再確認する機会が多い。Schopenhauer の有名なたとえ話だ。

ヤマアラシは体中を針で覆っているため、寒い冬に互いの体を寄せ暖め合うことができない。近づきたいのに近づけない。人間関係の距離を常に調整していないといけないという、哲学、心理学界の有名な例えだ。
人は一人では生きていけない。だから誰かに寄り添いたい。でも、寄り添い過ぎると傷つくことも多い。傷つくのが怖いからと言って近づかなければ傷つことはない。でも、それじゃあ淋しすぎて何のための人生かわからない。

20130216-IMG_9323

かつて誰とも話せない時があった。アメリカに来て英語がうまく話せないコンプレックスを抱いて対人関係で苦しんだ時期がある。不細工な容貌もそんな思いを加速した。一度話せなくなると、そこから脱出するには大変な努力が必要だった。結局、言語も容貌も問題ではなく、文化をどこまで共有しているか、相手にどこまで興味を抱いて近づいていくかということの方が大切だってこともわかってきた。それが相手との距離を左右する。

ところで、Sponge Bob のエピソードを突然思い出しちゃった。
Spongebob’s episode: Something smells

国によって、人によって距離感覚は違うよね。

言葉の上での距離感覚だけなら日本語は非常にわかりやすい言語だ。敬語を発達させた日本文化は敬語さえ使いこなせれば、まあ半分クリアできる。
ところが最近の若者は敬語無視、初対面でも一気に壁を乗り越えてタメ語を使ったりする。それが意志的にしている事、彼らが作りたい文化だと思いたい。近づきたい。まずは近づきたい。そこからのスタートなのかなと思いたい。

ただ、人と人との距離は言葉だけでは決められない。相手に対する行為やしぐさも大切だ。厄介なことに、長さが時々伸びたり縮んだりするんだよね。だからちょっとご無沙汰していた知人、友人、親戚、家族との再会はこの針の長さを計る作業から始める必要がある。一番近くに居る人の針の点検はもっと大切ね。

Facebook に住んでいるヤマアラシ達の針はどうなっているんだろう。

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