Monthly Archives: November 2011

感情の行方


目に見えて触れるものの行方はわかりやすい。
生きている物が死ねば、朽ち果て、土にかえる。
作られた物が壊れたら、破壊され腐食されるのを待ち、土にかえる。もしくは、加工され直す。

それでは、目に見えても触れないものはどうなるのか。
サイバー空間の情報が古くなると、削除作業が行われ、消失する。でも、本当にOSレベルから削除しないと何かが残るらしい。果たして消え去った情報は、どこへ消え去ったのだろうか。

さらに、私の記憶はどうなるのだろうか。
刺激に反応して起こる思考は、前頭葉で行われる。その後、思考は記憶として海馬に貯蔵されるのかな。それでは、いらなくなった記憶は削除できるのだろうか。できるとしたら、どんな指令を出せば削除できるのだろうか。
それとも、削除してもいい記憶など存在しないのだろうか。
痴呆症になった人の記憶は、海馬にアクセスすることができないだけで、存在しているのだろうか。

月の満ち欠けは、太陽の光を地球がさえぎるることによって起こる事は学校で習う。
ただ、知識として知っていても、実際に見える月をみて太陽と地球と月の関係を思い浮かべることはなかった。

先日、三日月を30秒かけて撮った。
そうしたら、しっかりと影が映っていた。
それが私にとって初めての”知識の検証”の瞬間だった。
三日月のイメージは、その後このイメージとなり、宇宙の位置関係が頭をよぎることになった。

それでは、今まで私が持っていた月のイメージは、どこへ行ってしまったのだろう。昔こう認識していたという記憶は残るが、かつての認識反応は戻らない。

人を恋焦がれた感情が、5年後には無感情に変わることは多々あることだ。
恋焦がれた感情はどこへ行ってしまったのだろう。
次の瞬間には消えてなくなる感情は、どこへ行くのだろう。

久しぶりに月を眺め、ふ~、ようやく言いたかった事に辿りつたよ。

ホカホカ


ワクワク、ドキドキの時って大好き。
そして、ホカホカの時も同じぐらい好きだ。

私にとってのホカホカ感は・・・

  • 交通渋滞でなかなか道路に入れない時、見知らぬ人に笑顔でスペースを作ってもらえた時
  • なでてあげた猫がゴロゴロと気持ちよさそうにしているのがわかった時
  • 寒い冬に暖かく蒸されたお饅頭をほおばる時
  • 理由も聞かず疲れきった友の居眠りを見て見ぬふりをしてあげる優しさにふれた時
  • 大好きなケーキが人より少しだけ大きいことを発見した時
  • 絶対に食べないと言われつつも作ってみたインゲンの料理をペロリと食べてもらえた時

 

言葉を交わさなくても、
理由を考えないまま心が少し暖まる時、
ホカホカと魂があたたまる。
幸せだと感じる。
かすかに感じる優しさ、そんな写真が撮れたらいいな。

過去2年間の写真をまたパラパラパラ。。。見つけた。
雪の中から一生懸命顔を出している新しい芽。
けなげさ、たくましさが雪を溶かしたのかしら。
寒い雪の中にあってもホカホカをくれた。
ありがとう!