非常に小さくてとぼけた顔をしている。とりわけ、この写真はおもしろいでしょ。
Titmouse は10 cm – 20 cm ぐらいの大きさで、虫とか種を食べるらしい。
頭の上の跳ね上がっている羽がかわいらしく、特長付けている。収拾のつかない私の髪の毛みたい。
だからか~。身内みたいなこの親近感。
Author Archives: aomi3
2011 年の4月の雨
Mr. Sherlock を会社へと走らせながら、幌に落ちる雨音を聞く。去年の今頃も、4月に雨?と思いながら雨音を聞いていたかも知れないと思いつつ、でも、それ以上に今朝の出来事に思いをはせていた。
突然の一通のメールは、30年以上も昔の記憶をよみがえらせてくれていた。
今更だけど、時空を超えて人々と瞬時に繋がるバーチャルの世界の便利さに感謝。
いやはや、すっかり忘れていた遠い遠い過去が、じわり、じわりと蘇ってきましたぞ。
岩手県の田野畑で過ごした合宿の日々。昔の自分をなぞってみると、透明人間のような、自我の確立ができてなかった少女を発見。うっふぁー、雲の上をフワフワ浮いているようだと誰かに言われたとおり。もう少し、その時に発見したこと、体験したことを大切に、じっくりと踏み込んで理解できていたらよかった。人々の優しさ、たくましさ、そして弱さも、もっと理解できていたらよかった。私は幼すぎた。
ま、今でも大して変わらないか。でも、そんな自分に気づいているだけましかな。人の心が理解できるようになるには、やっぱりそれに伴う経験がないとだめ。苦労しなくてもいいなら、わざわざ苦労を買って出なくてもいいと、言った人がいた。でも、少なくとも私の場合は想像力乏しいから、ハンズオン学習が必要かな。苦労し、その中からもがいて自分の進む道を発見していく過程が生きることだと思う。そうじゃないとつまんないし。それを苦労と呼ばず、チャレンジと呼び、いつも好奇心は旺盛でいたい。そして、その好奇心のワクワクから意図的なチャレンジができた時、私の成長があったと思うんだ。
一日の終わりのご褒美に、SF湾の奥深くに見える夕日。
この夕日を見るといつも、ジワッときて、ありがとうって、感謝する。美しいだけじゃない、雄大な自然の暖かさがあるからなのね。あ、これは歳をとったというより、経験値ね。
4月の雨はもう上がっていた。だから、幌をおろして帰ってきたよ。
冷たい風にツンとさせられて、鼻水がチョロリと出てきた。ついでだから、ちょっとメランコリックに格好付けて・・・かつての友は、どこで、どんな思いを込めて、何にチャレンジしているんだろう・・・なんて。そうそう、今だからこそ、若かった私も含めて、みんな懐かしくて、いとしいよ。
そんな彼らに、熱い声援のエールだ~!
幸せの時
ゾウの姿
レモンをレモンと言えるのか。
レモンを酸っぱいと言えるのか。
360度すべてのアングルから見えるものを総合することは、いったい可能なのか。
いったいどこまで見えたら私の意見が言えるようになるのか。
すべてを見極めることなんて可能なのか。
何かにフォーカスしなければ、たった一つのことでさえ表現し得ない。
すべての事象には多面性がある事を自覚することぐらいしか、私にはできない。
だから、私の発言はいつも偏ったものであることを伝えておかなければいけない。
そうでないと、多くの人を傷つける。
真実と現実は確実に違う。
いったい真実は存在するのか。
現実は、個人の思考の中にのみ存在する。だから、無数の現実が存在しえる。
そして真実はすべての生命体を包括して鼓動するうねり以外にいったい何があるのかと、偏った私の思考が問いかける。
喜怒哀楽がどれほどはかなく、一瞬の夢であることか、多くの人が説いてきた。
永遠は永遠に続かないという事実のみが永遠だ。
確実なことは何もなく、それを受け入れるしかないことが確実だ。
いつまでも大切なものを保ち続けたいということは、死を意味する。
生きていきたいのなら、変化を受け入れ、変化に乗っていかなければ押し倒されるだけだ。
だから・・・いつまでたっても、私にはゾウの姿は見えない。
変わらないものは
急ぐ必要はない。でも、季節も人も、そして私も変わっていくのを感じる。やはり春という季節がそう感じさせるのかしら。
永遠に変わらないものが美しいと思い、あこがれていた。誓い合った変わらぬ愛、いつまでも若々しい美貌、初心を貫く変わらぬ決意。こんな考えは、生まれながら持っているものなのか、わかりやすいからか、いつの間にか価値として持っていた。
そんな事言って無理に変わらぬものを持ち続けようとすると、苦しくなって行き詰る。日本文学は昔から諸行無常を説いているのにねー。中学校や高校の国語の時間に出会っているはずなのに、私の価値観を矯正してくれなかったのは、なぜだろう。授業をろくに聞いていなかったからかな。でも本当の所は、分かっていても潜在意識下で拒絶していたんだろう。だって、とても生き難くなると思えたから。本当はまったく逆なんだけどね。
動いているものを理解し、つかむのは難しいと思った。
そんな考えの根本には、自分は変わらないという前提がある。でも、その前提はまったくの大はずれで、自分こそが常に変化していることを自覚する事からスタートしないと、病気になってしまう。人生はコーラスのようなもの、誰かと踊るダンスのようなもの、サーフィンのようなもの。回りにあわせて自分も歌い、相手にあわせて自分も動く。波を選んでタイミングよく乗る。失敗しても、仁王立ちになって波をまともに受けるよりずっと被害は少ない。
こんなこと、わかっていても時々しがみついていたくなる。居心地のいい場所にずっと居たくなる。散りゆく桜の花びらを見ていたら、やっぱり感傷的になってしまった。はかない命、美しさだからこそ、いとおしい。友人のご家族が他界されたという知らせと花びらが、私の中で重なった。
永遠に変わらないもの・・・それは、過去の事実。すべてが変化する中で、過去だけが変わらない事実として存在し続ける。でも、だからこそ、過去にしがみついていては、波に乗らないサーファーになってしまう。勇気を振り絞ってすくっとボードに立ち上がる。そしてバランスで波をのりきる。後ろを振り返ってもいいけど、そんな暇ないよね。
さーて、次の波はいつ来るかしら。どんな波に乗ろうかしらん。

