試験官が見る世界


硬いタイトルです。
先日、日本語能力検定試験の試験官としてお手伝いさせていただきました。
足の指がまだ回復していないうちにサンフランシスコ州立大学のキャンパスを歩き回るのは、非常に苦しかったです。そのおかげで回復しかけていたのが、長引いてしまったかもしれないほどの痛みが襲って来ました。それでもやってよかったなと思える経験でした。

3時間の試験官トレーニングの末、割り当てられたクラスに向かいます。
人数確認と公平性、それを監督するのが仕事というのが私の理解でした。
受験者を1人づつチェックして入室させ、回答用紙に正確に情報が書かれているかチェックする。(今時、非常にローテク。)また、3種類のテスト毎に全てをチェックして、受講者にも説明するという極めて面倒臭い事をする。試験中はカンニングや、その他諸々のチェックをするために歩き回ることが必要です。どちらかというと肉体労働ですが、とても新鮮でした。すごーくベーシックな事にすごーく時間をかけてチェックするって、気持ちがいいです。

で、その先にあるもの。私に見えて来たものは「振り子の幅」でした。刺激はこうして得られるものなんですね。

例えば50分の与えられたテスト時間。そこに自分をどう投影するのか。勿論、私は試験官ですから、カンニングや不具合がないように集中し、見回るだけです。では、受験者は?

私が受け持ったクラスの47人の受験者は千差万別です。15歳ぐらいから60歳ぐらいまで。何が彼らにこのテストを受けようと思わせたのか、勿論わかりません。多分、能力もすごく違う。だから時間内にすごく早く終わってしまう人と、時間が来ても全て回答しきれない人もいます。その辺が、すごーく面白いと思ったんです。何が〜?

終了時間が来るまで退出は許されていません。だから寝てしまう人もいますが、大半の人は最後まで唸りながら頑張ります。
例えば50分の読解テストの時、髪をかきむしりなが記憶を辿っている人。無表情に読み続ける人。テスト慣れしている人は、すぐにコツを飲み込んでシステマティックに試験を進めます。

そんな中、17歳の男の子は私にインパクトを与えてくれました。彼は何らかの障害のある子で、やり方がわからないかったり、トイレに行きたくなったりすると体が震え始めると、チェックインさせる時にお母さんから説明を受けました。

私は彼をカメレオン少年と名付け、感心しながら見守りました。手の動かし方がカメレオンのようにゆっくりとしていて、しかも全く不器用なのでページをめくるのさえも10秒はかかります。そんなわけで、彼は最初の単語力テストでは全問回答することもなく時間切れとなりました。でも、次の文法と読解テスト、最後の聴解テストはかろうじて全てに回答することができて、ホッとしました。

彼は何のためにこの試験を受けたのか。回答用紙の扱い方さえもおぼつかない彼は、わざわざモンタナ州から試験のために出て来たんです。

「日本語が好き!」

それ以外に考えられません。試験の後、当然教室を出るのも最後になるんですが、彼が私に近づいて来て、こう言いました。

「ありがとう。あなたの髪型素敵です。」

ビックリして言葉をなくしてしまいました。でも、かろうじて2-3の会話をしてわかったのは、やはり、彼は日本が好きなんだということでした。嬉しいじゃないですか。なんだか、ジワ〜っと来ました。おそらくもう会うこともない彼。心が暖かくなりました。

その他にも、話してみたいなーと思わせてくれる受講者がたくさんいました。彼らはみんなユニークで、自分の世界を持っているのがよくわかる。そんな世界を大切にしたい延長線上にこの試験があったんだと思った時、足の指は痛かったけれど、「試験官、悪くないじゃん!」と思ったのでした。私の心の「振り子」が大きく揺れました。

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