今日は Saarbrucken の街の写真を紹介しましょう。
これは市庁舎。1910年に建てられたらしいです。まだ新しいということね。
これも市庁舎。窓の横に立っている人たちはこの町の人の産業をあらわしているとか。
ザール川沿いにあり、かつては炭鉱、製鉄で栄えた町。
その産業がゆえに、フランスとドイツでこの町の争奪戦が繰り返された町。
ザール川を見下ろします。
日が沈んだ後のザール川。
フランスのセーヌ川のポンデザール川の真似ですね。橋に付けられた鍵。このぐらいならまだ愛の重みは感じないようです。
この橋、Alte Brücke (Old Bridge)、の向こう側に中心街があります。
もう少し進んでみましょう。
そう、ここですね。St. Johanner Markt (St. Johanner Market Square)
ここで、オフィスの同僚が雇ってくれたガイドを紹介しましょう。
同僚曰く、「英語が話せるガイドを頼んだらこんなのが来ちゃって、申し訳ない。」と、連発してました。
何が申し訳なかったのか。このカールアーネストというオヤジ。ま、一言で言えば説明が結構いい加減。大切な事をいっていないというところでしょうか。27年間もガイドをしてるって言ってました。
ただ、ガイドの説明は、明日になったら忘れちゃうことですから、何をどう面白くするかだと思うんですね。例えばこの教会、Ludwigskirche (Ludwig’s Church)18世紀に建てられて、戦争で破壊され・・・という説明がありましたが、あまり覚えてません。でも、はっきり覚えていることは、左右、後ろと、白い建物が並んでいますが、それらは官舎として使われていたらしいんです。そして、右手前に少し見えている建物には美しい女性が住んでいました。その女性こそ、ルードリッヒ公爵のお父さん、ウィルヘルムハインリッヒ公爵の愛人だったとか。だから、いつも彼女を監視するように、お父さんのレリーフが彼女の部屋を向いて付けられているとのこと・・・ 本当の事なんだか、不明。でも、これで一応記憶に残りました。
Invisible Memorial Square 真ん中全面がガラス張りになっているところから、こんな名前が付いたんでしょうか。城跡に建っています。
城跡の壁に設置されている“miserly baker” of St. Johann
オヤジバーションじゃなく、同僚の説明を書きます。かつて腹黒のパン屋が住んでいた。彼は貧しい村人に、特に若い女性に自分と寝たらパンをあげると言っていたらしい。それを聞いた貴族の女性が、うわさを確かめる為に、わざとこじきの格好をして彼の所にやってきて、パンを恵んで欲しいと懇願した。パン屋はまんまとひっかかり、牢屋に入れられたという。その戒めを込めて、彼の頭はザール川の横でガーゴイルとなっているということです。
その他、教会、もしくはかつて教会だった建物はたくさんありました。全般にゴッシク様式なんですが、尖がりの頭、クーボルといという玉ねぎの形をしたいるものが結構あるんです。これも、これも。
玉ねぎのような形をしたクーポルはロシア正教会風ですね。