こんなことは、これが最初で最後かもしれない。
例のステキ女子の写真は大好評で、Flickrの訪問回数はすでに200に近い。
今までは観客ゼロだったのに。
勿論、ステキ女子パワーもあるだろうが、実はすでにローカルニュースレターに掲載されていた。
しかも、私の名前とリンクも紹介されている。うっふぁ~!どおりで突然通行量が増えたわけだ。
今後、他のサイトでも使われるらしい。あんな写真で恐縮だ。
でも、うれしい~!無我夢中で頑張った甲斐あった。
それにしても、メディアの力はすごいなあ~。一気に多くの人の注目を集め、嗜好までも変えうる力を持つ。
記者の目を通して見えたものが世の中に広がる。
多くの読者は、フィルターがかかっているなんて思わないから、それをそのまま事実と受け止める。
そもそも、ニュースメディアの中立性なんて、ありえない。フィルターを取り去ることなんて、できっこない。
ニュースキャスターは、感銘を受けた事を頭の中で整理しなおして書いていくのだから。
私の写真だって同じだ。
どこにカメラを向けるかは、私の意志だ。
ステキ女子のステキの為に、変な顔は全部省いた。
感情や意思を捨てて撮ることなど、できない。
別の言い方をすれば、いいとか、悪いとかの問題ではなく、フィルターこそが私の写真を描き、私の輪郭を照らし出すツールだということだ。
ここで言うフィルターとは、レンズに着装するフィルターは勿論、私の嗜好、価値観をも含む。
問題は、ニュース、情報を取り込む時には、全てのモノにフィルターがかかっている事のみが事実で、後は誰かの見解であることを忘れてはいけないという事だ。
それが、どれほど心地よいことでも、どこかに違う視点が存在することを忘れてはならない。
アメリカ大統領選挙戦がこれから白熱していく中、メディアパワーをどう取り込んでいくかは、政治家の重大課題だ。
やれやれ、何色フィルターが使われているか、その辺が不明だからこまるのだ。
多くの人は、フィルター情報を持ち得ないから、ついつい自分に心地よい情報を掴み、それが客観的事実だと思い込む。
ウソも真実もありえない。全部ひっくるめて妄想世界が広がっている。
本当に、やれやれ・・・だ。