Filoli から帰ってきてから、ず~っと考えていた事がある。それは、梅か桃かということ。
ばんちゃんは桃という植物学的な概念の基に、桃が好きと言ったわけではなく、桃の木を見てあの木が好きだと言った。そして、その札には、たまたま桃と書かれていた。
私はその同じ木を見て、札を見て、改めて感心し、驚いてしまった。というのも、札に梅と書かれていたら、きっとそのまま信じてしまうだろうなと思ったからだ。それだけ梅も桃も、そして桜も見分けがつけられないことを再確認したからだ。
今年も、そんな時期がやってきて、胸がざわめく。桜の季節だもの。満開の時には真っ白になる並木道を、もう一度画像として収めたい。でも、突然あの木々が桜かどうか、自信がなくなってきた。そこで、調べてみたら、きっちりと説明してくれているサイトがあった。
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断然、桜 |
すごくわかってしまったぞ。花びらとか、花のつき方だけではなく、木の幹からも見分けがつくんだ。すでに咲き始めている家の前の花は・・・
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これも桜でしょ? |
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たぶん桜・・・ |
教科書通りにはいきませんね~。葉の形も花びらも、幹の表面も桜っぽくない。でも、やはり桜?そうではなかったらなんだろう・・・
ちなみに、私は梅が好きだ。派手に咲き誇ることはなく、でも主張のある香りがある。開花直前の硬い蕾が開きかけている様はかわいらしい。紅梅が雪の中で咲いている景色があったら、さぞかし美しいことだろう。
松尾芭蕉がこんな句を詠んでいる。
春もやや けしきととのう 月と梅
”やや”は”ようやく”という意味。そして”けしき”は”景色”ではなく、”気色”ということらしい。
だとすると、この辺には梅はあまりないのではないかと思う。この句のように、厳しい冬を越えて待ちかねた春の到来を告げるのが梅の役割なのだから、こんなにぬくぬくと最高に過ごし易いベイエリアにはふさわしくない。ちょっと探索してみようかな。